HISTORY of Brillia
住宅事業の歴史

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OVERVIEW

その時代にふさわしい
住まいづくりへ

1896年(明治29年)、
安田財閥の創始者・安田善次郎により設立された東京建物。
私たちは、日本で最も歴史ある総合不動産会社として、
都市開発をはじめ、ビル、住宅、商業施設、
物流施設、ホテル、レジャー施設、駐車場など、
グループ会社とともに多様な不動産開発事業を展開しています。

住宅事業のはじまりは、1928年、関東大震災からの
復興期に「宅地分譲事業」に遡り、その後多くの事業にて
実績を積み重ね、1968年に「藤沢マンション」から
分譲マンション事業を本格的にスタートします。
その後「東建ニューハイツ」「ヴェール」シリーズを経て、
2003年以降は『Brillia』ブランドに統一し、
さまざまなタイプのマンションを幅広く手がけて参りました。

これまで培ってきた経験を生かし、その時代にふさわしい
「洗練」と「安心」を届ける住まいづくりを目指していきます。

Brillia Tower 堂島(2024年竣工)

CHRONOLOGY

1896~1929

近代的不動産業の草分けとして

東京建物株式会社の設立

1896(明治29)年10月、東京市日本橋区呉服町で、4大財閥の一つである安田財閥の創始者、安田善次郎によって「東京建物株式会社」が設立された。日本最初の近代的不動産会社の誕生である。

住宅ローンの原型となった割賦販売方式での不動産売買を開始。個人金融業者に頼ることしかできなかった住宅の建築や不動産売買における資金調達を、法人組織として初めて事業化した。

写真右上:安田財閥の創始者・安田善次郎により設立
写真左上:創業当初の中外商業新報(現・日本経済新聞)の広告。東京市内の住民に、東京全体の発展を志すというメッセージを発信した。
写真中央下:創業時の社屋

創業者「安田善次郎」
創業当時の社屋
東京建物の設立許可証
天津支店
天津支店

中国・天津支店開設(1945年廃止)

外務省から清国(中国)天津の日本租界地3万7,838坪の払い下げを受けて1903年に天津支店を開設。住宅やビルの建設・管理運営事業を開始した。

天津への進出は、当時の桂内閣から日本租界の開発と経営について当社に打診があったもの。当社が国内有数の本格的不動産会社であったこと、安田善次郎の経営手腕に対する政財界からの絶大な信頼があったことによって、海外進出という事業機会を得ることができた。

1907

東京株式取引所に株式を上場

1908年に発行された東京建物の株券
1908年に発行された東京建物の株券
1921~1945

関東大震災からの復興、そして終戦まで

関口台町分譲地にて宅地分譲事業開始

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の後、人々は比較的被害の少なかった東京市西部やその近郊に住まいを求めるようになり、東京の市街化傾向が一段と進んでいった。そうした流れの中で当社は、土地建物の分譲事業に進出。
その先駆けが、1928(昭和3)年の東京市小石川区の関口台町分譲地、豊多摩郡千駄ヶ谷町の千駄ヶ谷隠田分譲地の販売である。

その後、1937年(昭和12年)に別荘地の造成分譲へも事業を拡大、神奈川県湯河原町で温泉付きの別荘の販売も開始し、総合不動産会社への歩みを始める。

写真:神奈川県湯河原町の温泉付き別荘。当社は別荘の造成分譲を湯河原町で初めて行い、その後、那須湯本でも別荘地の造成分譲を手がけた。

神奈川県湯河原町の温泉付き別荘。当社は別荘の造成分譲を湯河原町で初めて行い、その後、那須湯本でも別荘地の造成分譲を手がけた。
外観
エントランス

東京建物ビルヂング竣工(旧・東京建物本社ビル)

1929年、東京駅東口(現・八重洲中央口)前に本格的な耐震耐火構造の本社ビル「東京建物ビルヂング」を新築。
当時、日本は金融恐慌から続く不況の中にあったが、その立地の良さから、本社ビルの貸室に対する需要は予想以上の好況を呈した。

さらに、1943年には安田ビルディング株式会社を吸収合併し、大阪ビル、京都ビル、福岡ビルを所有するに至るなど、昭和の到来は、当社にとって「ビルヂング時代」の開幕でもあった。

左:外観
右:エントランス
1929年に竣工した本社ビル「東京建物ビルヂング」。敷地面積262坪、地下2階、地上8階。設計は、鉄筋コンクリート構造学の権威であった阿部美樹志博士が担当した。

1946~1978

焦土からの再建と総合不動産会社への道のり

厳しい制約の下での再出発

1945(昭和20)年8月、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終結。戦後の財閥解体により当社は安田財閥の傘下を離れるとともに、資産の処分や資金の借り入れなどの企業活動に大蔵大臣・GHQの許可が必要となる「制限会社」に指定され、日本政府による戦時補償も打ち切られた。

在外資産を喪失し存亡の危機に立たされた当社は、業務全般にわたる厳しい制約の下で戦後の再出発を図らなければならなかった。

GHQに提出した再建整備計画書など
GHQに提出した再建整備計画書など
本社ビル壁面での広告掲示の様子
本社ビル壁面での広告掲示の様子

東京証券取引所に株式再上場

米軍家族宿舎「成増グランドハイツ」のメンテナンス業務と、本格的な建設請負業へ進出。特に建設請負事業は、戦後の復興需要もあり、官庁工事から始まって土木事業も手掛けるなど業容を拡大させていった。

こうした積極的な事業展開の一方で、本業であるビル賃貸事業の収益力回復、不動産仲介物件の増加に努め、業績が徐々に回復。
また、東京駅八重洲口前という好立地を生かして、本社ビル壁面に広告を掲示する事業を開始。電光ニュースにも参入して収益を確保し、再上場につなげた。

宅地建物取引業者免許を取得

終戦から10年が経過した1955年、日本のGNP(国民総生産)は戦前の水準を上回り、戦後復興から新たな成長へと移行する段階に入っていった。
不動産会社にあっては、広がる事業機会と需要の質的変化に対応することが求められていた。

当社は、1956年に建設請負業からの撤退を決断。翌1957年には、不動産売買、不動産賃貸、不動産の仲介と鑑定を事業の3本柱とし、「総合不動産会社」志向を明確に打ち出した。さらに1960年、宅地造成を加えて事業の4本柱とし、新しい時代に即した総合不動産会社の事業展開の態勢を整えた。

1952
1963

府中市中河原にて住宅地開発事業を開始 戦後の住宅事業を本格化

経済の拡大とともに都市部の住宅不足も深刻化し、社会問題に。当社は、戦前にも行っていた宅地造成事業の規模を拡大し、良質で適正な価格の宅地・住宅の提供に努めた。
1961年に和泉多摩川分譲地、1963年に分譲マンション鶴見ハイツの受託販売でノウハウを蓄積し、同年、戦後初めて当社が施主となって東京都府中市で中河原分譲地を造成分譲。
その後も積極的に宅地分譲を手掛ける一方、別荘地の分譲にも事業を拡大させていった。

藤沢市にてマンション分譲事業を
開始

東京オリンピック後の「40年不況」が1965年10月に底を打つと、日本は高度成長の後半期に入る。
この時期、当社は、分譲マンション事業を積極的に推進していった。引き続き拡大する住宅需要に対し、価格を抑えた大衆向けのマンションの供給で応えていこうとするものだった。
1968年の「藤沢マンション」を皮切りに、東京近郊、都内で次々と分譲マンションを販売。

写真:1968年に完成した「藤沢マンション」。当社が初めて手がけた分譲マンションで、以降、ビル事業で培った信用を生かしてマンション供給を続け、事業の大きな柱になった。

1974年には、開発面積約8万5,000㎡、総戸数1,046戸という当時当社最大規模の分譲マンション、「東建座間ハイツ」の造成工事に着手した。

1968年に完成した「藤沢マンション」当社が初めて手がけた分譲マンションで、以降、ビル事業で培った信用を生かしてマンション供給を続け、事業の大きな柱になった。
1968年に完成した「藤沢マンション」当社が初めて手がけた分譲マンションで、以降、ビル事業で培った信用を生かしてマンション供給を続け、事業の大きな柱になった。
1972年から1978年まで12期にわたって販売された「東建富士見ハイツ」。途中、第1次オイルショックなどで苦労した期もあったが、即日販売の期も多かった。

不動産事業の拡大の中での既存事業の発展大規模宅地分譲を販売

郊外での住宅供給にも引き続き力を入れていった。
その象徴的事業が、埼玉県川越市と鶴ヶ島町にまたがる約18万㎡、総区画数600余りという大規模宅地分譲、「東建富士見ハイツ」で、1972年に販売を開始した。

写真:1972年から1978年まで12期にわたって販売された「東建富士見ハイツ」。途中、第1次オイルショックなどで苦労した期もあったが、即日販売の期も多かった。

1975~1995

「大型化・差別化の時代」から「ポストバブルの経営」へ

地上54階、高さ222.95mの新宿センタービル完成

1978(昭和53)年の第2次石油危機以降、日本経済は内需の低迷が続き、不動産業界にとっても厳しい時代となった。ビル需要が減退し、昭和50年代の終わりまで低迷が続いた。

1979年、当社は、地上54階、高さ222.95mを誇る「新宿センタービル」を完成させた。1967年に新宿駅西口の淀橋浄水場跡の1区画を取得して以来、12年の年月をかけた大型プロジェクトだった。テナント募集が困難な時期であったが、ほぼ満室に近い状態で開業を迎え、当社の新しいシンボルとなった。

写真:1979年に完成した「新宿センタービル」。当社の収益力強化につながったうえ、技術的・造形的に優れた建築物に与えられる「建築業協会賞」を受賞した。

1979年に完成した「新宿センタービル」。当社の収益力強化につながったうえ、技術的・造形的に優れた建築物に与えられる「建築業協会賞」を受賞した。
1986年に竣工した「ヴェール 久我山(第1期)」。「To-be」システムで建築された代表的な建物で、その後も多くのマンションやビルを完成させた。

超高級マンション分譲事業「ロワ・ヴェール」シリーズを展開

当社の総合不動産会社としての総合力を余すところなく発揮した事業が、1987年より本格展開した「To-be」システム(東京建物ベストプランニングシステム)。
個人・企業に対し、所有する土地に最も適した活用法を、基本計画から事業収支計画、テナント獲得、竣工後の運営管理まで一貫して提供するもの。「To-be」システムに基づき、1998年までの期間で、住宅では「グランドメゾン田町」、「ヴェール久我山」など、合計135棟のビル・マンション等を完成させた。

この時期、分譲マンションでは、優良宅地の減少や地価の上昇等により、等価交換方式による事業が増加。また、「億ション」と呼ばれる超高級マンション分譲事業にも進出し、1989(平成元)年から「ロワ・ヴェール」シリーズとして展開した。

写真:1986年に竣工した「ヴェール久我山(第1期)」。「To-be」システムで建築された代表的な建物で、その後も多くのマンションやビルを完成させた。

東京建物のプリヴェール

マンションブランド「ヴェール」シリーズを発売

1987年以来長期にわたった不動産業界の好況は、1990年になると急速に減速し始めた。その中で当社は、「地価の変動に左右されない真のノウハウを生かした経営」基盤の構築を目指した。

分譲マンション市場は1992年に入ると活況を取り戻し、当社は、1993年に新戦略を打ち出し、新ブランド名「ヴェール」の下にマーケット別に5種類のブランドを展開。
年間供給1000戸の計画で、都心の1等地の超高級マンション「ロワヴェール」から、交通の便がいい単身者向けワンルームマンションの「プリヴェール」まで5種類のブランドをシリーズ化した。

1996~2005

“新しい世紀”の新たな経営展開

100周年記念事業として建設した「プランヴェールEX」。土地代負担を軽減でき、内装や間取りの変更が可能なことなどから、人気を呼んだ。独自性の高さが評価され、不動産学会賞を受賞した。
100周年の節目を記念し、企業理念「信頼を未来へ」をテーマに制定したシンボルマーク。
プランヴェール横須賀汐入

創立100周年企業理念・
シンボルマーク制定

定期借地権付きマンションプランヴェールEX
分譲開始

1996(平成8)年、当社は創立100周年を迎えた。「信頼を未来へ」という企業理念と、新しいシンボルマークを制定するとともに、100周年記念事業として定期借地権付マンション「プランヴェールEX」、免震マンション「プランヴェール横須賀汐入」の開発、「羽鳥湖高原レジーナの森」運営事業の3つの大規模プロジェクトを展開。

上:100周年記念事業として建設した「プランヴェールEX」。土地代負担を軽減でき、内装や間取りの変更が可能なことなどから、人気を呼んだ。独自性の高さが評価され、不動産学会賞を受賞した。
左:100周年の節目を記念し、企業理念「信頼を未来へ」をテーマに制定したシンボルマーク。
右:プランヴェール横須賀汐入

SPC法(現・資産流動化法)の国内第1号登録

1998年には、SPC法(資産の流動化に関する法律)の国内第1号登録を取得し、同法を活用した日本初の不動産証券化商品として、高輪の外国人向けサービスアパートメントの証券化を実現。

1998
新ブランド「Brillia」の第一弾として、2003年に販売開始した「Brillia 調布国領」。野川や豊かな緑など、自然や四季を感じられる環境共生型のマンションとなっている。

「洗練と安心」を理念とした
新築分譲マンションブランドの誕生

2003年4月、それまで5つのブランドで展開していた分譲マンション「ヴェール」シリーズを、新ブランド「Brillia」に統一。
創業者の安田善次郎の開業時の言葉
「個人住居ノ安楽ヲ図リ、
併セテ帝都ノ品位ヲ高尚ナラシメルコトヲ欲ス」
より、
「帝都の品位」=洗練
「個人住居の安楽」=安心
と紐解き、いつまでも輝きを失わない「洗練された住まい」と、卓越した品質とアフターサービスで「住んでからも安心」を感じる住まいづくりという想いを込めて、ブランド理念を「洗練と安心」と規定した。

新ブランド第1号となる「Brillia 調布国領」が7月に分譲開始。

写真:新ブランド「Brillia」の第一弾として、2003年に販売開始した「Brillia 調布国領」。野川や豊かな緑など、自然や四季を感じられる環境共生型のマンションとなっている。

戸建住宅の新ブランドBrillia Terraceを立ち上げ

翌2004年9月には、「Brillia」のブランドアイデンティティーを採り入れた、戸建住宅の新ブランド「Brillia Terrace」を立ち上げた。第1号として「Brillia Terrace 横濱空の街」の販売を開始。
丘の斜面という敷地を活かし、南ヨーロッパの丘陵邸宅をイメージした戸建住宅56戸を建設。

Brillia Terrace 横濱 空の街
Brillia Terrace 横濱 空の街
2004
2006~2019

付加価値を創出する未来につながるまちづくり

JR錦糸町駅を軸に、精工舎跡地で展開された〔TOKYOリ・デザイン〕プロジェクト。住・遊・職が融合する暮らしのステージを創出。
JR錦糸町駅を軸に、精工舎跡地で展開された〔TOKYOリ・デザイン〕プロジェクト。住・遊・職が融合する暮らしのステージを創出。
JR錦糸町駅を軸に、精工舎跡地で展開された〔TOKYOリ・デザイン〕プロジェクト。住・遊・職が融合する暮らしのステージを創出。
JR錦糸町駅を軸に、精工舎跡地で展開された〔TOKYOリ・デザイン〕プロジェクト。住・遊・職が融合する暮らしのステージを創出。

複合都市開発olinas(オリナス)竣工

東京東部エリア最大規模(※2006年当時)の複合都市開発「olinas(オリナス)」竣工。
中核となるタワーレジデンス「Brillia Tower 東京」をはじめ、オフィスタワー、ショッピングセンターの複合開発。
高度成長期前後に建てられた建物の老朽化や産業構造の変化を背景に、都市・地域の再生や付加価値の高いまちづくりが求められていた。

写真:JR錦糸町駅を軸に、精工舎跡地で展開された〔TOKYOリ・デザイン〕プロジェクト。住・遊・職が融合する暮らしのステージを創出。

諏訪2丁目住宅の建替え事業協力者に選定

当時全国で最大規模の640戸一括建て替えとなる「諏訪町2丁目住宅」の建て替え事業協力者に選定され、「多摩ニュータウン・ルネッサンス構想~人に優しい『街』づくり~」をコンセプトにプロジェクトを推進。

2013年当時、日本最大のマンション建替えプロジェクト「Brillia 多摩ニュータウン(1,249戸)」として竣工した。

Brillia 多摩ニュータウン
Brillia 多摩ニュータウン
建替え前の諏訪2丁目住宅。5階建・23棟総戸数640戸の建物が建ち並ぶ。
建替え後の「Brillia 多摩ニュータウン」。地上11~14階建て総戸数1,249戸のマンションへ建替え。

左:建替え前の諏訪2丁目住宅。5階建・23棟総戸数640戸の建物が建ち並ぶ。
右:建替え後の「Brillia 多摩ニュータウン」。地上11~14階建て総戸数1,249戸のマンションへ建替え。

bloomoi

働く女性が提案する住まいの
共創プロジェクト発足

2012年、女性活躍を支援する観点から、働く女性と対話し、共感しながら、多様化したニーズに応えられる住まいを実現するプロジェクト「Brillia Bloomoi(ブリリアブルーモワ)」を発足。

2022年に発足10周年を迎え、名称も「bloomoi(ブルーモワ)」に改め、性別や年代を超えた多様な価値観、ライフスタイルに寄り添った暮らしのあり方を提案するプロジェクトへと進化。

Brilliaから生まれた住まいと暮らしの共創プロジェクトとして、関係者の様々な声を聞き、複眼的な視点から、快適な住まいに必要な商品を企画、導入している。

「大きな樹木」をモチーフに、デザイン性と環境性能を実現。豊島区新庁舎、商業、オフィス、住宅が一体のまちづくり。

日本初の区本庁舎一体型高層マンションBrillia Tower 池袋竣工

豊島区新庁舎と超高層マンションの一体型大規模再開発という日本初のプロジェクト、「Brillia Tower 池袋」が、2015年に竣工。

この時期から、環境に対する配慮が強く求められるようになった。当社は、2009年に「Brillia 環境配慮型すまいガイドライン」を、2011年に「グループ環境方針」を制定し、環境負荷の低減、建物の省エネ・環境性能向上など、事業活動を通じてさまざまな取り組みを進めていった。

写真:「大きな樹木」をモチーフに、デザイン性と環境性能を実現。豊島区新庁舎、商業、オフィス、住宅が一体のまちづくり。

Brillia 弦巻東京都内初の高層ZEH-M事業として採択

Brilliaシリーズ「初」の高層ZEH-M実証事業。
土地の記憶を継承し、次代の快適・省エネライフを育む。ケヤキなどの既存樹を残すこと等により緑溢れる住空間を創出。

Brillia 弦巻
Brillia 弦巻
Brillia Tower 聖蹟桜ヶ丘 BLOOMING RESIDENCE
Brillia Tower 聖蹟桜ヶ丘 BLOOMING RESIDENCE

Brillia Tower
聖蹟桜ヶ丘 BLOOMING RESIDENCE
首都圏初の超高層ZEH-M事業として採択

京王線「聖蹟桜ヶ丘」駅北側の多摩川隣接地に、高規格堤防に準拠した盛土整備をした土地区画整理事業区域内に、首都圏で初となる超高層ZEH-Mによるマンション開発を行った事例。

2020~

次世代デベロッパーへの挑戦

地方での
分譲マンション事業を強化

福岡市では、大型商業ビル「西新エルモールプラリバ」閉館に伴い、高層マンション「Brillia Tower 西新」と商業施設の一体開発「西新リボーンプロジェクト」を手掛け、2021年に完成させた。

地下鉄駅直結の屋上庭園を設けて地域に開放したり、人流を生み出す貫通通路を新設したりと、エリア全体のにぎわいの醸成に大きく寄与している。

写真:高層マンション「Brillia Tower 西新」は高さ140mで、高層階からは福岡の市街地が一望できる。

高層マンション「Brillia Tower 西新」は高さ140mで、高層階からは福岡の市街地が一望できる。
高層マンション「Brillia Tower 西新」は高さ140mで、高層階からは福岡の市街地が一望できる。
高層マンション「Brillia Tower 西新」は高さ140mで、高層階からは福岡の市街地が一望できる。
20周年記念ロゴ

Brillia誕生から
20周年を迎える

「Brillia」は、2023(令和5)年には誕生から20年を迎えた。
洗練と安心を理念に、みなさまの暮らしに寄り添う、新築分譲マンションブランドとして、時代とともに変化する豊かさを、自分らしく追求しつづけられる住まいを提供し続けている。

私たち東京建物は、創業者である安田善次郎が旨とした「お客様第一」の精神と、時代の流れを先んじて捉える「進取の精神」を原点に、企業活動を展開。

その想いは、創業から一世紀を超えた今も、東京建物の原点として存在し続けている。

日本初、「フォーシーズンズホテル」と
マンションが一体となっ た超高層複合タワー
ONE DOJIMA PROJECT竣工

ヨットの帆をイメージしたシンボリックな外観で水都大阪の新たなランドマークに。
「Brillia Tower 堂島」では、多様なニーズに応える充実の共用施設を整備。国際的に活躍する彫刻家である名和晃平氏などのアート作品約50点を設置し、洗練された空間を実現。

「ONE DOJIMA PROJECT」外観 撮影:ナカサアンドパートナーズ
「ONE DOJIMA PROJECT」外観 撮影:ナカサアンドパートナーズ
スカイデッキ 撮影:ナカサアンドパートナーズ
スカイデッキ
撮影:ナカサアンドパートナーズ
ザ・ペントハウス(最上階 パーティールーム) 撮影:ナカサアンドパートナーズ
ザ・ペントハウス(最上階 パーティールーム)
撮影:ナカサアンドパートナーズ
ギャラリーコリドー(2階) 撮影:ナカサアンドパートナーズ
ギャラリーコリドー(2階)
撮影:ナカサアンドパートナーズ
Brilliaの供給実績